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自分とは異なる価値を理解、共有する強さを身につけて欲しい

―山内先生は何度も南三陸研修センターでフィールドワークや研修プログラムを実施されています。教育者として、また南三陸町の出身者として、学生を率いるときに意識している点はありますか?

南三陸でプログラムを組むときに、まず考えることは「他者と出会うこと」。等身大の自分を越えた「他者」との出会いには、価値感の違いだけではなく、言葉の違いもあります。決して、すっきり理解できる分かりやすい出会いではありません。その背景には、都市社会とは形態の異なる地域社会が広がっています。一次産業を基盤とする生業が、いわゆる「労働」と区別されてきたのは、こうした人々の暮らしの有り様が、単に賃金労働ではなく、その土地や海に根ざした地域環境との関係性の中で、祭りや慣習を継承してきた独自の暮らしを持っているからです。ですから、都市社会の価値感とは本質的に異なる側面をいくつも持っているのです。そこには都市社会で暮らしてきた若い学生にとって、理解不能なところもあるでしょう。けれども、そうした等身大の自分を大きく越えた世界にふれてもらいたい。そして、自分の価値感を内側から壊してもらいたいと思っています。
学生たちは、机に座って、同じ言葉と同じ教科書を使うことを「学び」と考えてきたと思います。それが近代のすすめた教育でした。けれども、自然災害だけでは終わらなかった今回の甚大災害の後で、わたしたちの価値感それ自体が問われていることを、誰もが感じた三年間だったと思います。農漁業という自然とかかわる価値の有り様は、やはり都市社会の暮らし方とは違いますね。南三陸で、もう一つの異質な価値と出会ってほしいと思っています。そして、自分とは異なる価値を理解、共有する強さを身につけて欲しいと思っています。
例えば、漁業は「板子一枚下は地獄」といわれてきました。沖に船を漕ぎ出すことは、命を危険にさらすことです。かつて、町の教育委員会で主催していた「ふるさと学習会」では、小学校六年生で、戸倉の津の宮から椿島まで二キロを泳ぐんです。わたしも泳ぎました。もちろん溺れる子どもが続出でした。漁船をだして、先生たちがみているんですけれど、スパルタです。というのも、なんの経験値もなく子どもを船に乗せることはできないですよね。だから、学校で座って勉強する以外に、南三陸で生きるための、「生きた勉強」が絶対に必要なのです。ふるさと学習会もようやく再開されつつあるそうですが、中高生のジュニアリーダーが小学生に教える。地域の大人もちゃんと見守っている。そんな環境の中で、ここの子どもたちは成長してきました。津波から身を守ることを、教科書は教えてくれない。親から子へ、先輩から後輩へ。そういう土地柄です。

―南三陸研修センターでは森里海の連環を一つのテーマとしていますが、その観点から見た南三陸というフィールドの良さはどのようにお考えですか?

南三陸は「分水嶺」です。海の人が陸の人を想い、陸の人が海の人を想い合う世界観を持っています。南三陸へ移住している方々が、こんなにちいさな田舎の町に「何でもある!」って言うんです。灯台下暗しだと「何でもある」場所が「何にもない」場所になってしまう。足元を深く掘れ、そこに泉ありとは言ったもので、地域を再発見することですよね。農漁業という分厚い生存基盤も、自然に人が介入してつくりだしてきたお祭りや食文化も大切な宝物ですね。

東京のような巨大都市を包み込んでしまうような壮大な価値感を南三陸でつくりたいと考えています。これは、南三陸研修センターならできると思います。

山内明美

南三陸町入谷出身。大正大学人間学部特命准教授。

東日本大震災後は、大学院に在籍しながら宮城大学地域連携センター南三陸復興ステーションの特任調査研究員として、南三陸町の復興支援にあたった。専攻は歴史社会学、「東北」研究。

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