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若い人がかっぽしているだけで町にとっては刺激になる

―南三陸研修センターで、この地域の方に学生たちと接してもらって、他の地域にはない、教育的な視線がこの地域にはあるような気がしているのですが。

何年間かグリーンツーリズムや民泊っていうものを経験してきたその家庭や関わってもらったその人たちが培ったものがあるんだよね。それまではあんまり価値のあるものとは思っていない生活様式だったり作業のスタイルだったりしたものが、年月を重ねてきちんと伝えるためのノウハウができたというかな、そういうのはあると思うね。

―なるほど。では、南三陸がグリーンツーリズムや民泊の受け入れが盛んになった経緯を教えてください。

最初にいわゆる民泊というのがこの町で始まったのが、志津川町時代だったと思います。それまで岩手の千厩というところで、神奈川大学付属中学校というところの一学年二百人を何年間かずっと受け入れていたのを、半分くらい学生さんを受け入れてくれませんかということで打診があって、受け入れましょうという話になった。それを何年間か繰り返していると、世の中がグリーンツーリズムの価値とか良さとかそういう部分に気づき始めて、関東だけでなくて仙台とか函館あたりまでいろんな学校が受け入れ先を求めてきたんですね。そういう一連の流れがあって、まさに受け入れの土壌っていうのはあった。

最初はもちろん、受け入れることに対してものすごい抵抗というか、不安はあったと思うのね。何を食わせたらいいんだとか、お風呂が立派でないとかいっぱいあった。でも普段の生活スタイルでいいんだ、我々の今の生活がむしろ都会の子どもたちに求められているスタイルなんだっていうのがわかりはじめて、徐々にそういうのが自信になってきた、っていうのかな。

そういう中でこの南三陸研修センターができ、抵抗なく、学生を受け入れる環境があったんだと思う。

―民泊の受け入れをしている人たちの中で共通して、こういうところがよかったよね、という声ってありますか。

田舎というものを知らない子どもたちもいるなかで、彼らが自分の田舎のように接することができるのが非常によかったな、というのが共通の認識にはなったみたいだね。

子どもたちにとっては、宿屋とか友達の家とかおじさんの家とかではない、ちょっと緊張して入ってくる初めての他人の家なんだよね。かといってお客さん扱いではない。

なんでもありではないんだよ、あくまでもここは他人の家なんだぞっていうことはまず初めに教えてやるんだよね。きちんと挨拶することができないんだ、今の子どもって。日本式の家屋で、畳の上だったら、都会のフローリングみたいに突っ立ったままでこんにちは、はないはず。

まずは、挨拶も膝をつくことぐらいはするんだよ、っていうことを教える。それだけでも初めて田舎に来た人にとっては、一つの壁のような、超えなきゃならない部分でもあるのかな、って思うな。まずそれをさせることによって、それからお茶どうぞ、という話になって。そこからはもう何でも受け入れてくれるんじゃないかな、この辺の人は。

逆にそれができないと、まるっきりだめなの。第一印象が大事だから、こういうところでは襟は正すんだよ、きちんと挨拶はするんだよと教えていくうち親しくなれる。そのちょっとの緊張の壁を超えてしまった後っていうのは、血の通っていない間柄だからこその新しい絆っていうのができる気がするね。いろんなものを引き出せて、その子の家庭まで見えてくる。というか、あんまり詮索するわけではないんだけど、そういうことまで聞き出すことによって、その子供たちが胸襟をひらいて、どっぷり浸かる、という感覚がある。

それこそがこういうところで人と接する中で一番大事なことなんじゃないかなあ。中学生くらいだと、やっぱり親とか友達とかの問題をいろいろ抱えてるように思える子供もいたりするのね。それをいろいろ聞いてあげるとしゃべってくれるんだな。親にも言えないこと、先生にも言えないこと、友達にもなかなか言えないこと。だけど知らない他人で、気を許せるっていうのがわかったりすると、それが湯水のように出てきた子どももいる。だからたった一晩しか泊まらなかったんだけど、この時来た四人の子ども(過去に受け入れした子ども)は帰るときみんな泣いてさ。そういうこともあったね。子どもとはいえ抱えてるものって結構あるんだよね。

―なぜ初めて来た人の前でそれが話せるのでしょうか。この地域独特のものなんでしょうか。人柄というか、人との付き合い方というか。

割 と独特かもしれない。田舎はどこでもこういう付き合いはあるとはいうものの、ここの人たちは、閉鎖的ではない。例えば歴史がそこにあると思うんだな。昔か ら金が取れて、その時は日本全国から金を求めていろんな人が入ってきた。一攫千金を求めた金掘り職人もいれば、それを流通させる役割の人もいれば、あるい は、ちょっと下世話な話だけど、いわゆる水商売がらみの人もいる。そういうものを受け入れてこの村というのは出来上がってきた。その後、金の採掘が終わっ て苦しい時代があって、そこから養蚕というもので盛り上がって、そのときもまた大勢入ってきた。

そ ういう中で他人の力を上手に受け入れて、それでいながらこの村の伝統や格式、生業というか、そういうものはきちんと守ってきた気がするね。だから柔軟なん だと思う。少しでも親しくなれば「あがっていけ」とか「お茶飲んでいけ」とか言われる。ここの人たちはそういう人が多いよね。

―では今は南三陸研修センター・民泊というところで話してもらったんですけど、今度は、例えば震災前から中学生が商店街のお祭りを手伝ったりとか、町ぐるみで若い人たちを育てていくというのは割と盛んだったのかなあ、と感じています。そのあたりどのように感じていますか?

ま さにそうだと思います。以前から町ぐるみ・村ぐるみっていうかね、地域とかかわりながら、地域の産業とか観光とか、そういうものを理解しながら子供たちを 育てていこうと思っていた。これは、やはり大人たちがきちっとこの町の良さというのを認識していたからに他ならないと思う。こういう価値がこの町にあるん だぞ、これこそがこの町の売りなんだぞっていうのを、子供たちにきちっと伝えたいっていう思いがあったから、イベントでも売り子をさせたり、入谷だったら お祭りに無理矢理でも参加させたりっていうのがあるんだと思うな。

子 どもたちもそういう環境に慣れ親しんでいれば抵抗がなくお客さんと接することもできる。中学生くらいだとよっぽど明るい子は何でもできるんだろうけど、そ うではない子っていうのは売り場に立つこと自体うんと抵抗があると思うんです。「いらっしゃいませ!」っていう言葉が出てこないと思うんですよ。それを無 理矢理でも三人とか四人とか組になってやれば、後ろの方にいればありがとうございましたとか、小声でもいらっしゃいませとか言えるわけで。

お 客さんとのキャッチボールがあるというのは、すごく自信になるんです。お金の受け渡しと物の受け渡しがあるんだから。ままごとじゃない。初めての時ってい うのは絶対緊張するんだけど何人かとやりとりすると慣れて、楽しくなって。そうやって、町を担っていく人は作っていかなきゃいけないと思いますね。

そ れに町の良さをどれだけ知っているかっていうのは一番大事だと思う。だって、よそから来た人はこの町の良さも悪さもおいしい食べ物もきれいな景色も何にも わかんないでくるわけだよね。そのときに会った人が「これ美味しいよ」とか「あそこに行くと景色良いよ」とかそういうこといっぱい言ってくれる。なんかあ の町元気いいんだよなって思わせる。そういう町ってお客さんにとってはもう一回行ってみるかというきっかけになる。人の心をわしづかみするような、そうい うのが得意な人が多いと思うね。

―なるほど。自分の地域の良さを知って、自信と誇りを持つ、というベースがあるからこの南三陸研修センターでも学生を受け入れられる、ということもあるし、人を育てる、人に返していくっていうことができているんですね。

い りやどができて、多くの学生たちがここを訪れるようになって、やっぱり若い人たちが闊歩しているというのは町にとってすごく刺激になると思う。町があの通 り被災してしまって何もなくなったなかで、この入谷っていう農村地帯で若者が動いているっていうのはすごく活気を感じます。だからこそ今感じるのは、私た ちが50年培ってきたものを今ここに来る人にどう伝えていくか。人として大事にしなきゃいけないことっていうのを学んで、感じて。そうすればいわゆる東京 砂漠っていうかね、そういう所に住んでいながらも力強く、さびしくなく生きていけるのかな、と思ったりするね。

都 会に疲れたら南三陸研修センターでなくてもいいからここで親しくなった人のところにぶらっと来てみるっていうのも大事だと思うね。例えば雑誌に載っているすごいラン クの宿とか観光地なんかっていうのは、確かに癒されていいのかもしれないけど、本当に肩の荷を下ろせる田舎ではない気がするよね。それを持っているか持っ てないかっていうのは気持ちの余裕が相当違うと思う。

今でも付き合いのある、民泊で来た神奈川の三人の子に結婚式に呼ばれたけども、あの子らにとっては、他人だけども大事な田舎のお父さんていう感覚でいてもらっているのかなあとは思う。夏になると来なきゃなって思うらしいね。実家に帰らないといけないっていう感覚。

そうやって常に気にしてくれている子がいるっていうのは私らもうれしいよ。励みにもなるしさ。なかなか作ろうと思って作れる関係ではないからね。縁だねって思うな。

―学生たちも「お帰り」って言ってもらえるのが一番うれしいって言ってますね。二回目にきて「またきたの」って覚えていてもらえるのがうれしいって。

そうだね。厨房のおばちゃんなんかに覚えられているとうんとうれしいもんだよね。

覚 えていてもらうと、絶対あそこいいなあって思う。そういうことが、ここは提供できる町なんじゃないかなあ。もっともっと自然環境が豊かなところもあると思 うんだけど、自然もあり生業もあり、昔からの風習もあり、ていう。一種独特な町なんだけどいろんなことができる土地だと思うな。

ー博之さんの話を聞いて、この町に「南三陸研修センター」ができるべくしてできたというか、本当のポテンシャルがわかったような気がしました。ありがとうございました。

阿部博之

1958年生まれ。南三陸入谷地区出身・在住。

2013年度一般社団法人南三陸研修センター理事。株式会社農工房代表。

お米、りんご、牛など幅広く手掛ける専業農家。震災時は入谷地区の消防団員として、いちはやく炊き出しや救援活動に従事。震災後はその豊富な知識や明るい人柄を生かし、観光協会の震災語り部としても活躍している。

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