Pocket

入谷のあるお宅より、数本の8ミリフィルムが見つかりました。そこに映っていたのは、昭和40年代の家づくり。木を切り出し、茅葺きの屋根をふぐし、家を新築するまでの一部始終でした。家を建てるという一世一代のイベントに、親戚も隣近所もみんなが力を合わせたあの頃。貴重な映像を見ながら、当時の家づくりや地域のあり方について考える勉強会を開催しました。

今回、ファシリテーターを務めていただくのは、ヘリテージマネージャー(歴史文化遺産活用推進員)である阿部正さんです。地元入谷のご出身とあって、多くの住民の方々が集まりました。

阿部正さん

住民の方々

大工に伝わる伝統の謡い

映像に入る前に、現役の大工さんである佐藤雄一さんに「謡い(うたい)」を披露していただきました。

謡いとは、お祝いの席で歌われる謡曲のことです。お祝いの意を表する方法は、言葉や舞いなど様々手法はあれど、最大級のお祝いを表すのが「謡い」なのだそうです。建前(上棟式)の際に、その家を建てる大工さんが披露します。佐藤さんの謡いが始まると、全く別の場所に来たかのような錯覚を覚えました。その朗々とした謡いに、自然と声を合わせる方もいました。震災後はハウスメーカーに頼んで新築するケースが多くなり謡いをする機会は少なくなりました。また大工が建てた場合でも、周囲に遠慮して謡いをやめてしまっていたそうです。それでも、年配の方々にとってみれば身体に染み付いた節なのでしょう。参加者のなかから自然と合わせる声が出たことに、阿部さんも驚かれた様子です。

謡いを歌う佐藤雄一さん

聴き入る住民

家づくりは木を切り出すところから

いよいよ、上映が始まります。カタカタカタカタ…という映写機の音が部屋に響きます。

フィルムは、施主のもっている山で大きな杉の木を切り出すところから始まります。その材を家の裏の畑で製材し、乾燥させます。

「立派な材だー」「ほうら、あれ、〇〇さんだっちゃ」「ああやって、機械もってきて、自分とこで製材したんだ。一部は歌津の製材所さ頼んだ」

ここではみんなが視聴者であり、みんなが解説者です。

それから、元の茅葺き屋根の茅を下ろし、合掌造りの骨組みをばらし、家をすっかり解体します。解体した木材は牛舎や納屋の建築資材として再利用します。屋根から降ろした“茅”ですら、桑畑の肥料として使っていたそうです。産業廃棄物という言葉はここでは無縁だったのではないでしょうか。

そこにコンクリートの基礎を打ち(もちろん、元の家には基礎はありませんでした)、新しい柱を立てていきます。2階まで組み上がったら、上棟式を行います。餅まきに熱狂する人々の様子は、今も変わりません。それから、赤瓦を並べ、壁をつくり、建具を入れ・・・着々と家の形ができていきます。

木を切り出す

家の骨組みが出来上がる

親戚に隣近所・・・みんなが手伝う家づくり

驚くのは、そこで作業している人たちの多くが、親戚や隣近所からの手伝いだということです。もちろん、現場を指揮する大工さんはいますし、後半で壁を塗ったり建具を作ったりというところでは、専門の職人さんが活躍します。それでも、作業の全工程でかなり多くのお手伝いが現場に入っていることがわかります。昔は、近くに家を新築する人がいれば、こうやって手伝いに行くのが当たり前だったそうです。

「あれだけの人足を金で雇ったら大変なもんだ。でも、うちはたくさん手伝いに来てもらったから、安くあがったってことが自慢なのさ」と、現在のこの家の主である阿部博之さんは語ります。

家がすっかり出来上がると、新築の家の座敷に御膳を並べ、新築祝いをします。ここで、作業に関わった人の労をねぎらうのだそうです。お酒を飲み、カラオケを歌い、心の底から楽しそうな人々の顔がそこにありました。

「ああやって、建前に近所の人がいっぱい来たり、新築祝いに呼んでもらったりすると、大工は下手な仕事はできないですよね。そういう意味では、地域が大工技能を育ててきたとも言えるでしょうね。」

阿部さんが言うと、この場にきていた大工さんもうなづきました。

「それに、施主の山から材を出すでしょう。その木だって、一代で育ったわけじゃないから、その木を植えたご先祖さまからの、その家の歴史が建物に刻まれるんだよね。そういうところは昔の家づくりは良かったよね」

親戚や隣近所の人のつながりや、先祖代々受け継がれてきた山、そこに住み続けようとする覚悟…そんなお金ではないもので成り立っている昔の家づくり。「昔はもっと地域のつながりが強かった」と良く言われますが、こういった共同作業によって培われたものなのだと思い知らされました。お金に代わる大きな「財産」がこの地域にはあったのだと強く感じた勉強会となりました。

Pocket